企業経営を取り巻く環境は、人口減少や競争の高度化によって、かつてないほど複雑になっている。経験や勘だけに頼った意思決定は限界を迎えつつある一方で、データを集めさえすればイノベーションが生まれるほど単純でもない。こうした状況のなかで、企業はいかに新たな価値を構想し、戦略へと落とし込んでいけばよいのか。神戸大学大学院経営学研究科准教授の原泰史さんに、オープンデータ※1の本質について聞いた。
※1 オープンデータ:国や自治体などが保有する統計・行政情報を、誰でも自由に利用・再利用できる形で公開したデータのこと。人口動態、産業構造、法人情報など、個社では取得できないマクロな情報が多く、企業経営や事業戦略の検討にも活用されている。
| 原 泰史(はら・やすし)神戸大学大学院経営学研究科准教授 一橋大学イノベーション研究センター特任助手、政策研究大学院大学科学技術イノベーション政策研究センター(SciREXセンター)専門職、フランス・パリ社会科学高等研究院日仏研究センター(CEAFJP/EHESS)ミシュランフェロー、一橋大学大学院経済学研究科特任講師を経て、2022年4月より現職。近著に『Pythonではじめるオープンデータ分析』 |
イノベーションの道具としてのオープンデータ

——オープンデータは企業経営にとってどのような存在だと考えていますか。
一言でいえば、「イノベーションを生むための道具」だと思っています。イノベーションというと、全く新しいアイデアをゼロから生み出すことのように語られがちですが、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが指摘したように、その本質は「新結合(New Combination)」にあります。既存の知や資源を、これまでとは違う形で組み合わせることで、新しい価値が生まれる。
企業の中には、売上データや顧客情報、業務プロセスといった「内部データ」が豊富にあります。しかし、それらは基本的に自社の中だけで完結した世界です。
そこに、人口構成、産業分布、法人の集積状況といった「外部データ」をぶつけることで、初めて見えてくる視点がある。その“異質な知”として機能するのが、オープンデータです。
そもそも、どれほど革新的なビジネスアイデアであっても、社会に理解されなければ広がりません。スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した際、「iPodと携帯電話を組み合わせたインターネット閲覧マシーン」と説明したのは有名な話です。既存の文脈に置き直すことで、人は初めて新しさを理解できる。
商品だけでなく、経営においても同じで、新しい挑戦を周囲に納得してもらうためには、直感的なひらめきだけでなく、資源動員の正当性※2が必要になります。オープンデータは、そのための強力な触媒となります。
※2 資源動員の正当性:企業がイノベーションや新規事業に必要な資金・人材・情報などの資源を社内外から獲得する際、その目的や計画が「正しく、望ましい」と利害関係者に認められること。
外部環境を俯瞰するための共通言語

——オープンデータは、経営者にどのような視点を与えてくれるのでしょうか。
オープンデータの大きな特徴は、「公共財」である点にあります。政府や自治体が巨額の税金を投じて整備したビジネスにおける「巨人の肩」であり、これを使わない手はありません。
自社の売上や顧客といった内部データは企業ごとに異なりますが、人口動態や産業構造、法人分布といったオープンデータは、誰もが同じ条件で参照できる。これは、経営を議論するうえで非常に重要なポイントです。
経営判断が属人的になりやすい理由の一つは、「何を前提に見ているか」が人によって違うことにあります。オープンデータは、外部環境を理解するための共通の土台を提供してくれる。個人の経験や勘だけを頼りにするのではなく、それらを誰もが理解し、議論できる「共通言語」につなげる役割を果たします。
——経営層がオープンデータを活用するときの典型的なテーマは何でしょうか。
典型的なテーマは「立地」です。ここで言う立地とは、不動産的な意味にとどまりません。「自社がどのビジネスエコシステム※3に身を置くべきか」という問いそのものです。
※3 エコシステム:元来「生態系」を意味する生物学用語。ビジネスでは、特定の企業単体ではなく、取引先、競合企業、スタートアップ、大学・研究機関、行政、投資家などが相互に関係し合いながら価値を生み出す産業・事業のまとまりを指す。
例えば、スタートアップの立地分析を行う際に、「地価が安い」「駅から近い」といったスペックだけで判断するのは危険です。重要なのは、そこにどのようなプレイヤーが集まり、どんな関係性が生まれているのかという集積(クラスター)の文脈です。
「渋谷にはIT企業が多い」とよく言われますが、データを細かく見ていくと、特定のエリアにだけエンジニアが極端に集中している区画があったり、製造業とデザイン業が近接することでイノベーションが生まれている場所があったりします。
ここで重要になるのは、同じ業種や規模の企業がどこに集まり、どれくらいの取引数や従業員数を抱えているのか、さらには行政や政府とどのような関係を持っているのかといった情報です。こうした情報の多くが、現在ではe-Stat※4やgBizINFO※5などのオープンデータとして公開されています。
※4 e-Stat:総務省が運営する政府統計の総合窓口。国勢調査や経済センサスをはじめ、各省庁が作成する統計データを横断的に検索・取得できる。人口動態、産業構造、地域特性などを時系列で把握できる。
※5 gBizINFO(Gビズインフォ):経済産業省が提供する法人情報のオープンデータプラットフォーム。法人番号を軸に、企業の基本情報、所在地、事業内容、補助金・表彰・認定情報などを横断的に参照できる。
かつては、帝国データバンクや東京商工リサーチといった信用調査会社のデータを用いて、企業の信頼性や体力を分析するのが一般的でした。これらは専門家や限られた組織しか扱えない情報でしたが、現在ではその一部が公共財として提供されるようになっています。こうしたデータを使うかどうかだけでも、経営における選択肢は大きく変わってきます。
——オープンデータを活用するうえで、特に重要な視点は何でしょうか。
大切なのは、「何が起きているか」というWhatではなく、「なぜ起きているのか」という Why を問い続けることです。
例えば、「なぜ、このエリアの店舗だけ売上が伸びているのか」という問いに対して、人口動態、競合の出店状況、地形といったオープンデータを重ね合わせていく。そうすると、「30代のファミリー層が急増しているにもかかわらず、競合がまだ進出していなかった」といった構造的な要因が浮かび上がってくることがあります。
経営者の役割は、データから答えを自動的に引き出すことではありません。現場で感じた違和感を起点に、良質な問いを立て、その問いを検証できる形にしていくこと。そのための材料を与えてくれるのが、オープンデータなのだと思います。
法人データの活用可能性

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