昨今の米国大統領の発言や、欧州の一部で見られる環境規制への反発を見て、日本の製造業の現場にはある種の「安堵感」が漂っていないでしょうか。
「サステナビリティの優先順位は、以前ほど高くなくなったのではないか」 「EVや再生可能エネルギー(再エネ)への投資は、少しペースを落としても良いのではないか」
日々、コスト削減と納期遵守のプレッシャーに晒されている現場にとって、脱炭素という重荷が少しでも軽くなるかもしれないというニュースは、ある種の救いに聞こえるかもしれません。しかし、経営の視点から言えば、その安堵感は非常に危険な「甘い罠」であると言わざるを得ません。
なぜなら、政治的なスローガンがどう変わろうとも、グローバルなビジネスの現場、特にサプライチェーンを支配する「取引のルール」においては、環境対応の要求は緩和されるどころか、むしろ不可逆的に厳格化しているからです。
政治の風向きに一喜一憂し、GX(グリーントランスフォーメーション)の手を緩めることは、将来の競争力を自ら放棄することに他なりません。本稿では、政治的な揺り戻しがあったとしても、なぜ日本企業が「環境対応」を止めてはならないのか。
その理由と、具体的な道筋について解説します。
規制の主戦場は「ワシントン」ではなく「ブリュッセル」と「市場」に

まず、私たちが認識すべきは、ビジネスのルールを書いているのは誰か、という点です。
確かに、トランプ政権の動向によって、米国国内のエネルギー政策やパリ協定に対するスタンスは大きく変わる可能性があります。しかし、日本企業にとっての主戦場が世界である限り、無視できないのが欧州連合(EU)の存在です。
EUでは、域内の炭素価格(EU ETS)と同等の負担を輸入品にも求める「炭素国境調整措置(CBAM)※1 」が、2023年10月から移行期間として報告義務が始まり、2026年から本格運用に移行しています。
※1 炭素国境調整措置(CBAM:Carbon Border Adjustment Mechanism):炭素排出に対する規制が緩い国からの輸入品についてEU域内と同等の炭素コストを課すことで、排出規制の差による不公平を是正するための制度。
たとえ米国の規制が緩んだとしても、日本企業が製品を欧州へ輸出したり、欧州企業のサプライチェーンに組み込まれたりしている限り、これに対する対応が求められます。無視すれば、追加コストの発生や競争条件の悪化、取引条件の見直しといった形で、事業に実害が出る可能性があります。
さらに強力なのが、「顧客による強制力」です。
AppleやMicrosoftなどは、サプライヤーに対して、再生可能エネルギーへの移行や排出量の算定・報告、削減目標の設定を、調達基準やサプライヤー行動規範、契約・覚書等を通じて強く求めています。
ワシントンで政治家が「石油を掘れ」と叫んだとしても、iPhoneの部品を作る工場や、グローバルメーカーに部材を運ぶ物流会社は、再生可能エネルギーを使い、炭素排出量を証明できなければ、容赦なく契約を切られるリスクがあります。
この「民間の商流」による要求は、政権交代があっても直ちに消える性質のものではなく、企業側が自律的に継続しやすい取引ルールとして定着しつつあります。
つまり、もはや脱炭素は「地球を守るための高尚な理念」ではなく、グローバル市場でビジネスを行い、見積もりの土俵に上がるための「通行手形」に変質しているとも言えるのです。
「気合と根性」の環境対応はもう限界 ― Scope 3の壁

しかし、ここで問題になるのが、現場の疲弊です。多くの企業経営者の方々と話をしていると、脱炭素の重要性は理解していても、実務が追いついていないという悲鳴にも似た声を聞きます。
その最大の原因は、多くの企業がいまだに環境データの収集を「アナログな人海戦術」で行っていることにあります。
自社工場での排出量(Scope 1, 2)※2 であれば、電気代や燃料の請求書から算出できるかもしれません。しかし、現在求められているのは、原材料の調達から物流、販売後の使用段階・廃棄までを含むバリューチェーン全体(Scope 3)の排出量です。これを把握するには、扱うデータ量が桁違いに膨大になります。
※2 Scope1~3:企業の温室効果ガス(GHG)排出を区分する国際的な考え方。Scope1は自社が直接排出するGHG、Scope2は購入した電力・熱の使用に伴う間接排出、Scope3は原材料調達から製品の使用・廃棄までを含むサプライチェーン全体の間接排出を指す。
数千、数万点に及ぶ部品ごとの排出係数、輸送ルートごとのCO2排出量、各国の規制やカーボンプライシング※3 の変動係数……。
※3 カーボンプライシング:温室効果ガスの排出に価格を付け、排出量に応じて企業や経済主体にコスト負担を求める仕組み。炭素税や排出量取引制度などが含まれる。
これらを、担当者がエクセルとメールを駆使してサプライヤー各社から集め、手入力で集計する。これは、かつての物流現場が「電話とFAX」だけで複雑な物流網を維持しようとしていたのと全く同じ構図であり、もはや限界を迎えています。
しかも、データの精度が低かったり、提出が遅れたりすることは、顧客から見れば「リスク管理ができていない企業」となります。環境対応の遅れは、そのまま企業の信用リスクに直結するのです。
この「アナログの限界」を突破するために必要なのが、製造現場の生産性を劇的に向上させた「ハイパーオートメーション」の発想を、環境対応(GX)の領域にも持ち込むことです。
関連記事)生成AIを活用した製造業のハイパーオートメーション戦略 ─ビジネスを10倍加速させる秘密の戦略
GXを「コスト」から「自動化されたプロセス」へ

この記事は会員限定です。
登録すると無料で続きを
お楽しみいただけます。